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歴史をたどる悠久の古都・西安
かつては長安と呼ばれ、唐の時代には大帝国の首都として世界最大の都市へと成長。シルクロードの起点とされ、経済や文化、政治、宗教などさまざな物や文化が中国へと流れ込んできた。現在は「西安」と名が変わり中国の歴史を語るうえで欠かせない歴史的建造物や、後世へと伝えるための博物館が多く設けられている。今回は、西安の歴史的スポットから、かなりデンジャラスなスポット、グルメなスポット、歴史と近代が交差するスポットまで紹介。まだ行ったことのない人もそうではない人も、これを見れば西安をさらに楽しめるかも。
歴史と近代が交差する街
市内は1周14キロの城壁に覆われており、歴史的建造物や博物館をはじめ、観光スポットが点在している
歴史をたどる悠久の古都・西安
かつて長安と呼ばれ、紀元前11世紀から紀元後10世紀までの約200年間、秦、漢、隋、唐などの歴代王朝の都として繁栄してきた古都・西安。始皇帝や楊貴妃など、多くの歴史上の英雄やヒロインが活躍してきた場所としても有名で、市内や郊外にその足跡が多く残っている。市全体を取り囲んでいる城壁は1370年代にレンガを積み重ねて築かれており、高さ12m、幅12~14m、長さは14キロにも及び、東西に長く南北に短い形となっている。東側の文昌門、西側の安定門、南側の永寧門、北側の安遠門と東西南北に門が4つある。安定門は城壁の中でも最大の門であり、創建当時シルクロードの発着点として栄えていたという。
世界的な交易路であるシルクロードを通って中国から特産品のお茶や絹、陶磁器などが中央アジアや西アジア、ヨーロッパまで運ばれた。西方からは仏教や文化、金、ガラス、珍しい物産などが持ち込まれた。
日本との関係も深い地で、隋の時代には遣隋使、唐の時代には遣唐使が日本から派遣され、阿部仲麻呂や空海らが訪れた。
今回は、西安観光の中心であるエリア「東線ルート」をご紹介。断崖絶壁でスリル満点の「華山」をはじめ、温泉と景色が美しい地「華清池」、約70万人の職人と労働者によって作られた兵士や軍馬の俑が数千体も並ぶ「兵馬俑」などの観光スポットを掲載。西安を訪れた際に食べたい地元グルメや、購入必須のお土産品紹介ページも注目だ。
絶景のために険しい登山道を登る
かつては仙人が住み、道士たちが修行をしていた華山。中国で最も険しい登山道といわれ、頂上に至るまでには危険スポットが目白押し。相当な覚悟を持って臨むべし
この地で絶大な権力を持った始皇帝が残した遺産
地下坑から見つかった多くの兵士や軍馬をかたどった陶製の像。それは約2,200年前に中国統一を果たした始皇帝の命で作られた数千体の軍団であった。皇帝権力のあり方、当時の作陶技術などを示す遺産は、1987年に世界遺産に登録された。
第一号坑は長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積14,260㎡。飛行機の格納庫ほどの大きさ。
服のシワや紐の模様などの再現が細かく、靴の底にも模様が施されており、一切の妥協を許さない職人たちの情熱を感じられる
約2,200年の時を経ても色褪せることなく、当時の色彩を私たちに残してくれた俑もある。機械もない遥か昔に、この地で生活を営んでいた人々が己の手と技で、これほど緻密な俑を作っていたことを教えてくれる
世界三大美女のひとり、楊貴妃が湯浴びをしたことで有名な華清地
第一号坑から出土した将軍俑は立派な髭を貯えているほか、服や髪型、鎧も他の兵士俑より豪華に感じられる
驪山のふもとに位置する、3,000年以上の歴史をもつ温泉地。唐の玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスの舞台として有名
最大にして最強を誇った
始皇帝の権力を象徴する遺産
1974年3月、ある農民によって偶然発見された陶器の破片。それはのちに、考古学者の鑑定によって中華統一を果たした始皇帝が作らせた兵馬俑であることが判明し、最大の考古学的価値のある遺跡として、世界に知らしめることとなった。
約2,200年以上もの間、日を浴びることなく中国の大地に眠っていた兵馬俑は現在、「始皇帝陵兵馬俑博物院」にて見ることができ、出土した第一号坑から第三号坑までが一般公開されている。最も大きな第一号坑へ足を運べば、その広大さ、壮大な兵馬俑の隊列、兵士の勇ましさに、圧倒的迫力を覚えることだろう。ここには約2,000体の兵士の俑と馬が、東の勢力を威圧するかのように配置されている。この数多くの俑は、この場所の付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて作られている。頭、腕と胴体は別々で製造、組立てられており、頭と腕は型に入れて作られ、組立て後に表面に粘土を貼り付け整形されている。そのため兵士一人ひとりの顔の特徴や表情、ポーズ、表情、身につけているものはすべて異なり、同じデザインの兵士は存在しない。いずれの兵士も本来は手に銅の剣、弩、弓、槍、短剣や手斧、その他の長尺の武器などといった当時の本物の武器を持っていたとされ、これらの武器は耐錆性と腐食性に優れていたため、長い間埋没していても尚、鋭さをのぞかせている。また、全ての兵士の俑に彩色が施されており、秦国の莫大な資源と労働力を集中させて作られたことは間違いない。
第一号坑は今現在も慎重な発掘作業が続けられており、その様子を伺うことができる。第一号坑の発見から2年後の1976年4月第二号坑が、同年5月に第三号坑が立て続けに見つかり、今尚新しい知見と驚きをもたらし続けている。
展示会場には出土した青銅器や装飾品の展示、青銅で細部まで再現された4頭立ての銅車馬、風格が漂う将軍俑などを見ることができる。
死後の世界でも生涯と同様の軍事力を保持し、皇帝の地位をもつことを望んでいた始皇帝の命によって、70万人以上の職人と、労働者に40年の歳月をかけて作られたとされる。世界遺産に登録されたこの遺跡は、ここでは語り切れないほど価値のある場所だ。
一度長安に入ると 一目で千年を望める 古代王朝の首都として繁栄を築いてきた西安 現在でもその当時の面影を残す貴重な建物が市内各地に残されている
お祭りレベルの鮮やかな色でライトアップされた「大唐不夜城」は西安市南部に位置し、近年新たに開発されたエリア。西安の新たな観光地として注目を集めている
大慈恩寺に建てられた「大雁塔」。塔の入口両側には玄奘三蔵法師の功績を称えるための石碑が納められている
大慈恩寺に建てられた「大雁塔」。塔の入口両側には玄奘三蔵法師の功績を称えるための石碑が納められている
東西に2台、24節季の文字が書かれた太鼓が南北に12台並んでいる「鼓楼」
「碑林博物館」の「碑林」とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味する
自分たちの街を守るために「城壁」は、古代城壁において最大級を誇る
西安市内の名物スポットを巡ろう
西安市内へ近づくにつれて見えてくるのは中心部を覆うように造られた城壁。1370年から1378年にかけてレンガを積み重ねて築かれたもので、完全に保存されている古代城壁のなかで世界最大のもの。高さ12m、幅12~14m、長さは14kmで、高さよりも厚みのほうがあることに、当時の防衛拠点としての城作りがされていたことが覗える。
城壁の門をくぐって中へ入ると、より一層西安の歴史を感じる建物を見ることができる。東西南北に大通りが交わる場所に設置された「鐘楼」は、鐘で人々に時を告げるのが目的で、釘を一切使わず、継ぎ目のない一本柱様式の珍しい建物。1582年に現在の場所に移された以降は、西安の発展を見守ってきた。「鐘楼」のすぐ西側にある「鼓楼」からは大きな太鼓があるのを目視で確認できる。「鼓楼」は「鐘楼」とほぼ同時期に建てられ、現存する中国の鼓楼のなかで最大を誇る。
唐の時代の高僧、玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏教の経典や仏像などを保存するために、当時から大寺院であったこの地の大慈恩寺に建てられた塔が「大雁塔」だ。入口の南側には玄奘の像が立っている。ちなみに、この玄奘三蔵が孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に天竺(インド)へ行って仏典を持って帰る物語が「西遊記」である。
イスラム教を信仰する回族が多く住み、常に人が多く賑わいをみせる観光エリア「回民街」。西安イチの美食街でで、独特なスパイスの効いた羊肉の串焼きや、中国文化とイスラム文化が融合した食べ物など、ここでしか食べられない西安のB級グルメが楽しめる。
建築面積約4,000㎡の「碑林博物館」には、石碑や墓碑、金石文、墓誌銘、石彫刻など約3,000点が展示されており、中国最大の石造の書庫とも称される。
歴史感じる西安に誕生した新スポットが「大唐不夜城」だ。唐代の文化をテーマに全長1,500m、幅480mに彫刻や塑像が並んでいる。夜になるとライトアップされ、まるで日中のように明るく、その明るさに圧倒されるだろう。
歴史を感じる一方、観光客向けのスポットが充実している西安市内。夜には至るところでライトアップが行われる。西安市内を朝から晩まで、見て食べて感じて楽しもう。